はじめまして!
あきよです!
このブログは、現在40代で月180時間以上働くフリーランスが、場所も時間も自由に選択できるプロセスを共有するメディアです。
私は、もともとはアラフォーOLとして普通のサラリーマン生活を送っていた一般的な会社員でした。
しかし、あることがきっかけで、フリーランスとして独立せざるを得なくなり、一気に自転車操業で食いつなぐ生活に陥ったのです。
そこから1年半…
今では安定的な収入を得られるようになりました。
さらに自分の価値を高めるために、Webマーケティングを徹底的に学んでいるところです。
そんな私の大目標は、世界を旅しながらPC一台で仕事をする「一生ワーホリ生活」を実現すること。
「何を言っているんだ?」と、思われた方も多いと思いますが、本気です。(笑)
この目標は、「海外で暮らせたらいいな~」みたいな感じで漠然と設定したものでもありません。
では、「一生ワーホリ生活」したい私が、なぜ今からWebマーケティングを学ぼうとしているのか?
そのきっかけと経緯について、私の自己紹介を含めてお話します。
安定しているけれど、何かが足りない…
2022年、コロナの暗い影が少しずつ薄れてきた頃です。
30代後半だった私は、毎朝6時に満員電車で通勤。
東京の虎ノ門のオフィスの中で「マネージャー」として、週に2日だけオフィスに顔を出す生活を送っていました。
当時は、生活に余裕を持てる年収があり「セミリモートワーク」という働き方も手に入れていたはずなのに…
そのモヤモヤの理由は、このときの仕事は私の「セカンドチョイス」だったから。
学生時代から30代前半までは国際援助の仕事に憧れ、ミャンマーやインドで現地の人々と共に働いていた経験もあります。
「より専門性を」という思いで大学院まで進学しました。
しかし、理想と現実の狭間で心が折れてしまい、経験のあった保険業界に舞い戻ってきたのです。
毎月の給与明細を見るたびに、心の奥底では常にある問いがありました。
「このまま40代、50代を迎えていくのだろうか?」
…という話には、もうひとつの側面があります。
正直な話、求められている成果を出せておらず、私は会社にとっては「お荷物のような存在」だったということ。
そんな状況だったので会社のパソコンで、転職サイトを見ながら悶々とする日々を過ごしていました。
思いがけないタイミングでの誘い
古い友人Aさんからのメッセージは、転職活動を始めた時期に突然届きました。
「うち手伝いに来ない?」
私が10代の頃から知るAさんは、自分の会社を立ち上げ、10年以上も成功を収めていました。
私の周りで最も輝かしい道を歩んでいる一人です。
Aさんの拠点は、古い城下町が残る片田舎。
都会の喧騒やしがらみのない場所で、新しい挑戦ができる!
それは、私には想像もしていなかった選択肢でした。
Aさんの会社では、彼女の仕事のパートナーたちのセミナー企画を担当することに。
そして、企画を成功させるには
「人の心を動かし、行動してもらう」ための
Webライティングやマーケティングのスキルが必要らしいのです。
聞いたことはあっても、実践経験のない分野。
でも、実地で学べる環境がある。
そして何より、田舎暮らしを始めるには十分な報酬も約束されていました。
「Aさんの元なら大丈夫!」
片田舎に出向いて、話を聞いたその日に新しい一歩を踏み出すことを決めました。
会社員の立場を離れて個人事業主として働くことに迷いがなかったと言えば嘘。
でも当時は、どうにかして環境を変えたかったんです。
予想もしなかった場所から、人生を変えるチャンスは訪れました。
翌々月には仕事を退職し、引っ越しも済ませて、新しい生活を始めたのですが…
仕事を楽しめたのは最初の2ヶ月でした。
ビジネスの現実、そして痛みを伴う気づき
会社員として10年以上。
「オフィスに来て、言われた仕事をこなせば給料がもらえる」
その当たり前が、私の中に深く深く根付いていました。
しかし、オンラインセミナーの企画に、プロモーションというすべてが初めてのことばかり。
誰かが手取り足取り教えてくれる環境ではないから、想像以上に仕事を進めるのは大変でした。
前任者からの引き継ぎがあって、マニュアルが整備されてて、OJTが当たり前の会社員時代とは違います。
「この前、LPのライティングからセミナーの運営まで一通り一緒にやったから、〇〇先生の企画からやってみて。LPは明後日、下書き見せて!」
以上、Aさんからの指示。
「LPってどうやって書くの…?」
当時は生成AIなんてないからググって調べて、見よう見まねでLPを作成。
もちろん、そんな文章が人の心を動かせるわけもなく…
結果はAさんの赤ペン添削だらけで、即却下。
Aさんは自身の商品リリースで忙しいので、私の仕事を丁寧に見ている時間はありません。
仕舞いには「もう時間がないから!」とAさんに全て書き直してもらう始末…
そこで別のLP制作では、Aさんになりきって書いてみたら、
「あなたはAさんになろうとしなくていいのよ」と言われ、担当の先生を不安にさせてしまう。
Aさんの仕事を楽にするためにいるはずなのに、彼女の仕事や心配事を増やしてしまっていたのです。
「一生懸命頑張っているのに、どうしていいかわからない…」
もう、八方塞がりでした。
今振り返れば、いただいていた報酬の3分の1ほどの価値も、提供できていなかったと思います。
そして厳しい現実は容赦なく訪れるもの。
Aさんの仕事を手伝い始めて8ヶ月目に、事業の継続が難しいと通告されました。
それは同時に、私は仕事を失うということ。
脱サラ1年経たずして、こんな挫折を味わうことになるとは…
そんな失意の中で、Aさんからお別れ会のときに言われた言葉があります。
「あなたは何も知らない。それをきちんと自覚した方がいい。」
それなりの経験を積んできたつもりでいた私のプライドは、粉々になりました。
当時はその言葉を、素直に受け入れられるほど余裕もなかったから。
でも今なら、Aさんの真意がわかります。
会社員のときは、なんだかんだ、上司や会社に守られていたんですよね。
- フリーランスで働く全責任は自分にある
- 仕事をいただけるのは、本当に有り難いこと
- プロ意識を常に持つ
その当時の私にすべて欠けていました。
孤独な闘いの始まり
失業してからも、会社員に戻る選択肢は浮かびませんでした。
実は失業直前、現状を打開しようとライティングスクールに入学していたから。
「コピーライティングは1億円スキル」
そう教えてくれたAさんの言葉があったからです。
失業保険が3ヶ月間もらえることがわかり、私は決断した。
「この3ヶ月を、自分への投資の時間にしよう。」
朝から晩まで、ただひたすら書く。
1日10時間以上、パソコンに向かい続けた。
外の世界との接点は、ほとんどない。
そんな孤独な修行のような日々を3ヶ月続けていたら、小さな光が差し込んできた。
以前、彼女のインスタを1ヶ月だけ運用した経験を買われ、ある企業からインスタのノウハウを書くSEOブログの仕事をいただけるようになった。
月収10万円。
しかし、喜んだのは束の間。
毎日、朝から晩まで画面に向かい続けても、収入は月10万円で頭打ちだった。
いくら会社のブログで上位記事を書いても、Googleに評価されなければ意味がない。
ついに月10万円では生活していけず、実家に戻り親のスネをかじる生活にまで落ちた。
さらに現実も、重くのしかかる。
「39歳」
「貯金なし」
「人脈なし」
「男なし」
私の履歴書には、それなりの学歴も、会社員としてのキャリアも刻まれている。
でも、当時の私に必要なスキルは、そのどれでもなかった。
「あなたは何も知らない」
フリーランスになった途端、その言葉の真意を身をもって理解した。
そんな状況だから、自分の力でお金を稼ぐために
「何か新しいことを始めなければ…」と、
その思いは日に日に強くなるのに、手持ちのお金も、これからの方向性も見えない。
私は、一体何を学び、何を得てきたのだろう…?
地元で再就職という選択肢もあるはずなのに、 その気持ちすら湧いてこない。
むしろ、知り合いに会う方が怖かった。
変わるための覚悟
ある日、インスタの運用代行が仕事になるという情報に出会った。
同時にそれを学べる場所「リモラボ」の存在も知る。
ただ、受講費用は数十万円…
貯金もない私には、途方もない金額に思えた。
「でもここで躊躇したら、何も変わらない」
そこで、あれだけ働く気になれなかった地元で、子ども英会話講師の仕事を始め、ライティングの仕事と掛け持ちで受講料を捻出することにした。
さらにリモラボの集中コースでは、週20時間以上の学習時間を捻出しなければならない。
「忙しくてできませんでした…」
受講費用を捻出するために地元で働き始めたのだから、その言葉だけは絶対に口にするまいと決めた。
PCの前で目を血走らせながら学習を続けて、初月の8月には100時間の学習時間を作り出す。
翌月もギリギリ80時間を捻出。
そして、変化は着実に訪れた。
10月には、インスタ運用代行の仕事を獲得。
リモラボで学んだ「クライアントワークの心得」を徹底して、クライアントの期待以上の仕事をするように心掛けた。
それが功を奏してか、翌年1月には1アカウントのディレクターに昇進。
さらにリモラボで、SEO記事ライターとしての仕事も開始した。
そうして4月には、英会話講師を卒業。
在宅だけで月15万円の収入を得られるようになっていた。
ただ、これが私の限界でもあった。
リモラボのコーチには月200時間働くという人もいたが、当時の私には80時間労働で精一杯。
「コーチは自分と環境が違うからな」と思っていたが、実際は「限界」を自分の頭で決めて労働時間を増やすことから逃げていただけなんですけどね。
生成AIとの出会い
チャンスって思いがけない方向からやってくる。
2024年4月。
リモラボで生成AIを学ぶ講座に思い切って投資することにした。
以前から個人的に勉強はしていたものの、体系的に学べていないもどかしさがあったから。
「本気で学ぶなら、プロから学ぶべきだ」
プロから凝縮された知識を直接学ぶと同時に、いくつかの生成AIに課金して実際手を動かしてみる。
その結果、出てきた疑問を毎回講師に質問。
「こんな質問をしたら、講師に迷惑がられやしないか…」と毎回ヒヤヒヤしていたけれど…
そのおかげもあり仕事の生産性が飛躍的に伸びて、生成AIにはとても可能性を感じていたし、2023年11月にOpenAIが話題になって1年足らずの時期で、この知識の希少性を活かしたいと思っていた。
「もっと深く知りたい。」
その思いで、AI専門コミュニティにも参加。
学びを加速させていた矢先、一つの募集に目が留まった。
「SEOライター募集」
そのAIコミュニティの運営企業からの募集で、応募してみると、インスタ運用代行の「ディレクター経験」が評価されたのか、驚くべき機会が舞い込んできた。
当時9万人のフォロワーを持つ、”Xアカウントのディレクター”
リモラボで目標としながらも、それまで越えられなかった「月30万円の壁」を、一気に突き抜けることができた。
考察:2024年の夏はAIを普段から使っていることにすら価値がありました。
ライター経験 x ディレクション経験 x 生成AIが使える、というスキルの組み合わせが勝機につながったのです。
新たな自由を求めて:一生ワーホリ生活の始まり
実は今、月10時間以上働いている。
以前は80時間でヒーヒー言っていたのに、人間の適応力は素晴らしい。
チームに加わって3ヶ月目で昇給が確定。
4ヶ月してようやく体制が整い、今では週に2日は完全にオフにできるようになった。
「場所の自由」を手に入れた今、次なる目標は「時間の自由」。
そのために、Webマーケティングを本格的に学んでいる。
「マーケティングはビジネスする上で必須」
かつてAさんが言っていたその言葉の意味が、今になってようやくわかる。
作業者だった頃は、言われたことの質とスピードを高めることだけを考えていれば良かった。
しかしディレクターになった今、視野の狭さに気づかされる。
アカウント運営、ユーザー心理、市場動向…
考慮すべき要素は無限に広がっている。
もっとマクロな視点で物事を捉えていかなければ、またすぐに頭打ちになってしまうだろう。
とくに、昨日の「世界最強ツール」の称号が、日替わりで塗り替えられるAIの世界。
この目まぐるしい進化に多くの人が戸惑いながらも、この技術を理解しようとする人たちへ分かりやすく、実用的な情報を届けるアカウント運用をするーこれが現在の私のミッションだ。
そして、場所の自由を手に入れたことで、心の奥底から湧き上がってきた想いがある。
「もう一度、海外に挑戦したい」
過去の海外経験は、学校や企業という期限付きで守られた環境の中での挑戦だった。
でも今は違う。
フリーランスとして稼ぐ力を身につけ、自分で行き先を選べる。
「PC1台あれば世界中どこでも仕事ができる。」
この最新のフリーランスの働き方を取り入れ、自分の価値をさらに高めていきたい。
「一生ワーホリ」という言葉には少し冗談めいた響きがあるけれど、私は本気だ。
国や地域を定期的に変えながら、働き方も生き方も柔軟に変化させていく。
正直、40代を超えた今、いつ親の介護が始まるか分からない。
だからこそ、やれることは今やっておきたいという理由もある。
今年中に東南アジアの主要なフリーランス・デジタルノマド拠点を巡り、その過程で出会う人々、文化、仕事のすべてが私を成長させてくれるはずだ。
そして何より、同じように
「もっと自由に、でも人生に目的を持って生きたい」と願う40代女性たちに、具体的な道筋を示せる存在になりたい。
最後に
この記事の途中でお伝えしたように、かつて39歳で「貯金なし」「人脈なし」「男なし」だった私は、たった2年で環境を変えることができた。
2年、いえ、1年でさえも本気で取り組めば、あなたの環境は確実に変わる。
もしあなたが、
「このままでいいのかな」とふと考えることがあるなら
「もっと自由に生きたい」と時々思うなら
「海外で暮らしてみたい」という夢を持っているなら
ぜひ私の挑戦をウォッチしていてほしい。
このブログがあなたの背中を少しだけ押せますように。